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怪文書置き場

JNコンフィデンシャル 7/14

7 [泉 哲朗]

 張り込みから五時間半が経過――二十三時十五分。事務所内の動き/変化=いっさいなし。立ちっぱなしで足が痛む。欠伸が止まらない――浮かんだ涙をぬぐって事務所の窓に目を向けた瞬間、心臓が止まった――電気が消えている――やつがでてくる。ビルの出口を凝視し、身構えた。

 スーツ姿の男/見たところ四十過ぎ。充血した目/痩けた頬/薄暗い灯りの下でも分かる青白い顔――怯えのチラつく目つき、不安を押さえ込んでいるような挙動。どこか見覚えのある――だが、花山の情報とは一致せず。嫌な予感――情報はガセ=六時間近くの張り込みは、全くの無駄。

 そのとき、そいつの足下になにか小さな塊が動くのが見えた。男がビルのドアを開けて出てくる――その塊も男を追いかけて外に出る。暗闇で二つの目がらんらんと輝いている。塊は黒っぽい毛色の猫だった。

 男が一ブロックほど離れるまで待って、花山に電話した。

「おい、どうするんだ。今の男を追うか?」

「それは小立にやらせる。お前は事務所に誰も残ってないか確認してくれ」

 おれはビルに入った。事務所まで階段を登る。ドアに表示――中村プロダクション――ここだ。少し待って様子を伺うが、人の気配はない/そもそも、人の出入りを感じさせない。思い切って無遠慮にドアを開けようとする――ロックされている。その音に何かが反応した様子もない。

「ダメだな。誰も残ってないだろう」

「小立も駅前で見失った。ここまでだ」

 花山の声に落胆の色を探したが、携帯を通したそっけない言葉には相変わらず感情らしい感情を伺えなかった。

 念のため上の階も見てみる――『高木探偵事務所』の看板。中村プロダクションとは雰囲気が違う――長年使われている。結局、六時間を棒に振っただけだった。

「くそが」

 怒りに任せてドアをぶっ叩いた。上下に続くうす暗いビルの階段にうつろな音が吸い込まれていくだけだった。

JNコンフィデンシャル 8/14

8[橘 創]

 朝から事務所は騒然としている――うすら馬鹿どもをかきわけ、高木を探してデスクへ――高木は誰かと話している。

 警告音が鳴り響く。ここは危険だ。長居できない。早くここを離れろ。

 二十代半ばくらいの男――顔は見えない――かすかに見覚え――話し声が聞こえる。

「うちの調査員じゃない――雇用関係はない――ただあいつ自身は『プロデューサー』の仕事をしているつもりらしい――「プロデュース活動の一環」で汚れ仕事の専門家がいると言って――それでフリーランスを一人紹介した――尾行、覗き、盗撮なんでもやる――代わりはいる、惜しくもない人間だ――ああ、「死んでもいい人間」だ――」

 会話の内容は分からない。私はその場を離れようと――立ち去ろうとした瞬間、高木がこちらに気付いた。

「昨日、怪しい男が事務所のまわりをうろついていたようだ。こちらの方から情報を頂いた」

 男が振り向く――

 子供が子供を襲う――笑いながらつつき回し、引き倒し、殴り、蹴る。

「こちら、拝島怜司氏だ」

 虐げられたものは視界にも入らない――虐げる側だけを見つめる――

 男が笑う。

「あなたのお父さんは立派な人よ」

 高木が笑う。

 子供が子供を襲う――笑いながらつつき回し、引き倒し、殴り、蹴る。

「拝島氏にその男を呼び出してもらう。今夜、ここの公園だ。駅から来るなら、この地下道を通るだろう」

 高木社長が地図を指差した。

 警告音が鳴り響く。ここは危険だ。長居できない。早くここを離れろ。

 

 駅からの上り坂を小柄な男が登ってくる――時間通り、あの男が渡した写真通り。男を尾行する――

 居場所はない。ここは安全でない。

 こちらに気付いている様子はない――

「あなたのお父さんは立派な人よ」

 男が山手線の下を通るうす暗い道へ入っていく――

「あなたはお父さんの息子よ。お父さんの血を引いているのよ」

 誰も見ていない――

 ナイフを抜き、走り出した。足音に気付いて男が振り返る――もう遅い。身体ごと体当たりする。ナイフが深々と男に刺さった。

 居場所はない。ここは安全でない。

 刺さったナイフを思い切りこじる。血が吹き出て私を濡らす。男はくぐもった声を上げる。見開いた目の生気が抜けていく。

「あなたのお父さんは立派な人よ」

 そのままアスファルトに押し倒した。

「あなたはお父さんの息子よ。お父さんの血を引いているのよ」

 ナイフを引き抜く。かすかに男の呼吸音が聞こえる。もう一度刺した。深々と刺し、引き抜く。もう一度刺し、引き抜く。

 高木が哄笑する。あの男が哄笑する。

 夢中になって刺しまくった。二十回か三十回か――

 子供が子供を襲う――笑いながらつつき回し、引き倒し、殴り、蹴る。

 男はぴくりとも動かない。

 警告音が鳴り響く。ここは危険だ。長居できない。早くここを離れろ。

 私はその場を去った。

 

読経ニュース 十一月十七日

十七日午前五時二十分ごろ、神奈川県横浜市の横浜港で、「男性の遺体が浮いている」と通報があった。神奈川県警によると、男性は二十歳前後、身長約百五十五センチで腹部に複数の刺し傷があり、殺人・死体遺棄事件と見て捜査している。

経ニュース 十一月十八日

神奈川県横浜市の横浜港で男性の遺体が見つかった事件で、県警は十八日、遺体を東京都に住む大学生の花山昌志さん(二十一)と確認した。事件は殺人・死体遺棄事件として捜査が進められている。

JNコンフィデンシャル 9/14

9 [小立 俊弘]

 花山が死んだ。

 おれはニュースを読んで、すぐに泉に連絡した。できるだけ早く会いたい。念のため、泉の家から離れたところで落ち合うことにした。

「花山が死んだ」

 泉が来るなり単刀直入に切り出した。自分の声が震えていた。泉の反応も待たずに続ける。

「殺されたんだ。しかも、どう考えてもヤクザとかマフィアとか、そういうやばいの絡みだ。この事件、なにか裏があるんじゃないか。おれたちもやばいんじゃないか」

 おれは自分の言葉に急かされるようにたたみかけていた。押さえ込んでいた不安と恐怖を表に出した瞬間、そいつらがおれを押さえ込んで支配した。

「落ち着け。一人で一般市民の住居を襲って拷問にかけるようなやつだぞ。おれたちの知らないところで今までどんな恨みを買っていたか。おれたちは関係ないさ」

 泉の声も冷静を装う裏から恐怖がしみ出していた。

「あいつのことだ。『お前怪しいぞ、なんかスキャンダルに関係あるんだろ』って街中でヤクザに突っかかっていったんじゃないか」

 どこか自分に言い聞かせているように聞こえた。

「ヤクザだってそんな簡単に人を殺すわけないだろ。誰か、あいつを殺すだけの理由があったんだ」

「それなら容疑者は分かってるじゃないか。おれ。お前。あいつの妄想で酷い目にあってる。動機は十分だ」

「おれはやってない! お前がやったのか!? そんなわけないだろ!」

「あいつは暴力を選んだ! 昨日死ななくても、遠からずそれ以上の暴力にぶち殺されてたさ!」

 周りの通行人が怒鳴り合うおれたちを見ないようにして足早に通り過ぎていた。

「とにかく、そんなに恐いなら家でじっとしてるんだな。家の中ならヤクザにも見つからないだろうよ」

 そう言い捨てて泉は立ち去ろうとした。おれはその背中に問いかけた。

「なあ、正しいのはあいつだったんじゃないのか?」

 だが死んだ。誰とも知れないやつに、むごたらしく殺された。

「なんであいつは死んだんだ?」

 力に訴えたから。力の強さで己の正しさを問うたから。

「誰かがやるべきなんじゃないか。彼女たちのことを思うなら」

 花山はやるべきことに向き合っていた。

「だったら、それはおれたちじゃないか。おれたちがやらなきゃいけないんじゃないか」

 泉の姿が見えなくなった。

 それでもおれは、泉にかける言葉を探して立ち尽くした。

JNコンフィデンシャル 10/14

第二章 NOIRISH x HATE x WORLD

10[泉 哲朗]

 帰宅/リビングに入る。灯りをつけようと、暗闇の中壁に手を伸ばし――瞬間、部屋の灯りが点いた。不意打ち――パニックに陥る/掌で光を遮る/手を振り回す。

「元気にしていたか」

 含み笑いを隠さずに拝島が言った。

「脅かすなよ。久しぶりだな。どうしたんだ、急に」

「お前がなにかやっかいなことに巻き込まれてるみたいだったんでな」

 全部お見通しというわけか――いつからだったか、拝島が関わることについては恐怖を感じなくなっていた。拝島がすること、見せることの異常さは変わらない。ただおれの感覚が麻痺しているだけだった。交通事故でめちゃくちゃに壊れた車を見たとき、外国で起きている虐殺を聞いたときのような感慨があるだけだった。

「知人が殺された。明らかに他殺だ」

「どんなやつだ?」

「一言でいえばキチガイ、二言でいえば正義漢面した狂信者だ」

 はは、と拝島は笑った。それに合わせて笑おうとした。できなかった。

キチガイ、狂信者ってのは幸せだな。きっとそいつも殉死だろう」

 壁に寄りかかっていた拝島が部屋の奥へ歩き出した。

「殉じたつもりで犬死にだろ」

「そうだな。でも、犬死に以外なにができる?」

 おれは答えられなかった。その代わりに拝島の背中を追った。

「どうやっても犬死になら、なにかのために死んだ方が……なにかのために死んだ「つもり」になれた方が幸せだろう?」

 拝島が振り返った。寛容と拒絶を同時に思わせる穏やかな笑顔。

 そうだ、と今しがた思い出したかのようにファイルを渡される。落ちていく/落下の感覚。収束点/結論が見えてくる。拝島の背中を通して。

「お前らが探していたのはこいつじゃないか?」

  数枚の書類――顔写真/名前/住所/経歴/行動範囲=およそ必要な情報がひと揃い。概要:三十四歳/男/フリーの記者。専門領域:尾行/覗き/盗撮。仕事の履歴:中村事務所/その上階の探偵事務所との繋がり。前回の仕事:半年前=下準備を考慮しても、尾行も盗撮も十分可能。状況証拠のみだが、このファイル一つでほぼ確定――つまり、犯人はこの男。

 なぜ、という疑問は形にならない。ただ条件が整ったという感覚があった。今もどこかで虐殺があるように。虐殺を起こす力が働くように。

 おれは落ちていく。

JNコンフィデンシャル 11/14

11[橘 創]

 事務所は騒然としている――うすら馬鹿の奥で、また高木が拝島と話していた。

「ああ、元はイチエフで高線量作業員をやってた――津波で死んだ人間の戸籍を使い回して――それがピンハネしてたヤクザを刺して逃げ出してきたのを見つけた――話を聞いて身元を調べたら、どうも警察庁の公安系のお偉いさんの隠し子らしい――母親は拘留してた在日二世の女で――匿ったのはそのお偉いさんを強請る材料に――」

 話し声は聞こえない――

 警告音が鳴り止まない。ここは危険だ。今すぐここを離れろ。

 内容は理解できない――

「オービットって連中に執着する理由はよく分からない――ただ「おれの秘密を知っているのは美菜子一人だ」と言っていた――よく話を聞くと、美菜子っていうのは母親のことらしい――」

 意味のない会話――

「母親が死んでからは警察官をやっていたらしい――ああ、母親の国籍は隠して――父親を探し出して頼んだんだろう――地方の制服警官にねじ込んでもらったんだ――」

 その場から立ち去ろうとする――高木に呼び止められた。

 居場所はない。ここは安全でない――

「よくやった。お前の希望通り、若い娘を回してやろう」

 あの女を貶めろ――

 高木のにやにや笑い――

 警告音が鳴り止まない。ここは危険だ。今すぐここを離れろ。

 拝島が笑う。

「橘さん、あなた、昔、宮城のR町に住んでましたよね」

 子供が子供を襲う――笑いながらつつき回し、引き倒し、殴り、蹴る。

「私もあのあたりに住んでたことがあるんですよ」

 虐げられたものは視界に入らない――虐げる側だけを見つめる――

「ねえ、あなたと私、どこかで会ってませんかね?」

 警告音が鳴り止まない。ここは危険だ。今すぐここを離れろ。

 事務所を飛び出した――

 

 走る。金曜の夜の人混みにぶつかり、あやまり、ただ走る――

 居場所はない。ここは安全でない――

 雑踏/雑音から統制された声に――気付けばその声の方へ足が進んでいた――柵と人混みにぶつかった。

 日の丸が踊る。シュプレヒコールが上がる。日本人を守れ。反日外国人は日本から出て行け。犯罪者を逮捕しろ。犯罪者を射殺しろ。犯罪者を生きたまま拘置所にたたき込め。

 足が動かなくなっていた。

 居場所はない。ここは安全でない――

 ゆっくりと後ずさろうとする。肩に手が置かれた。

 警告音が鳴り止まない。ここは危険だ。今すぐここを離れろ。

「この力、見覚えあるでしょう」

 拝島だった。

 子供が子供を襲う――笑いながらつつき回し、引き倒し、殴り、蹴る。

 あの女を貶めろ――

 あの女の口をふさげ。引き倒せ。闇に葬れ。

 逃げ出した。

 安全な場所はどこにもない。

 

 事務所にとって返した――2F、中村プロダクション。誰もいない――さっきまで関係者で雑然としていたはずが――

「あなたのお父さんは立派な人よ」

 腐りかけた机が一つ、腐りかけた椅子が一つ――

「あなたはお父さんの息子よ。お父さんの血を引いているのよ」

 気付けば、そこは廃墟だった。

 あの女を貶めろ――

 机の上に黒猫がいる――

 あの女の口をふさげ。引き倒せ。闇に葬れ。

 あずさはいない。美菜子に手は届かない――

 

 廃墟の静寂の中で、心が澄んだ。

「あなたのお父さんは立派な人よ」

 本当だろうか? 己の出自を呪う子供へ、自分に自信を持てるようにと願った母親の、優しい嘘――母親自身に対しても――優しいおとぎ話だったのかもしれない。

 誰かになりたい。誰かに。誰でもいい。おれでさえなければ。

 そう思うと、母の――美菜子の愛が身体に流れている気がした。

 おれだけは絶対に嫌だ。

 

 事務所のドアが開いて、スーツを派手に着崩した連中が入ってきた。

 安全な場所はどこにもない。

 

読経ニュース 十一月二十五日

二十五日午後一時四十分ごろ、東京都渋谷区の雑居ビル街裏手のごみ収集箱に男性の遺体が遺棄されていると通報があった。

警視庁によると、男性は両腕がノコギリのような刃物で切断されているほか、口蓋の損傷が激しく、何者かが身元確認を妨害する目的で遺体を損壊したとして、殺人・死体遺棄事件として捜査を進めている。

JNコンフィデンシャル 12/14

12[泉 哲朗]

 小立を呼び出した。なんてことのないファミレス。大仕事の前に腹ごしらえをしたかった。

「こいつを見てくれ」

 席につくなり布施からもらったファイルを押しつけた。小立が中身に目を通す/みるみる顔色を変える。それを眺めながらオーダーする――ステーキセット、追加でグラタン、デザートにケーキ。

「犯人はこいつってことか。どうやってたどり着いた? こんな情報、どこで手に入れたんだ」

「昔なじみの推理だ。資料もそいつがくれた」

 信じられないという表情――当然か。

「それで、どうするつもりなんだ」

 ステーキを噛みちぎりながら答える。平然と嘘をつく。

「こいつにつきまとってみる。物証を得られれば、警察と音雨に渡す」

 小立は目に見えて安心していた。おれは笑った。

「お前ももっと食え。おごってやる」

 

「もうやる気をなくしてるかと思ったよ」

 おれが追加した二つ目のケーキを食うのを見ながら、小立が言った。

「やる気なんて元からねえよ」

 やるきはない。。ただ条件が整っているだけだ。小立はそうかい、と答えた。

「やっぱりこれ、渡しておくよ」

 チケット=オービットのツアー――まだ持っていたようだった。

「そうだな、気が向いたら使わせてもらおう」

 小立の手からチケットを2枚抜いた。小立は一瞬ぽかんとして、それから少し寂しげに笑った。

 

「正しいのはあいつだったんじゃないのか?」

 小立の声がリフレインしている。

 小立と別れ、おれはやつの帰宅ルートの物陰に隠れた――必要な情報は全てファイルの中に揃っている。

 また待ち伏せ――この前とはまるで違う感覚=「やつは来る」という確信。

 缶コーヒーの空き缶が増える――二本/三本。二時間が経過――来た。ファイルの写真通りの顔/背格好。ぎりぎりまで引きつけ、物陰から出てやつの前に姿を晒した。

「あんたに聞きたいことがある」

 言いながらナイフを取り出す/やつに向ける。

 やつ=ためらわず反転/全力疾走。おれも追いかける。一瞬後悔した――花山のように、相手の家で襲撃する/まず殴ってから聞くほうがよかったか?

 やつの足は遅い――百メートルも走らず追いついた。

「待て!」

 ナイフを持っていない左手で背広の肩を掴み、引き留める。激しい抵抗――たまらず手を離す。

「くそっ、橘をやったやつか!?」

 やつも罵りながら懐から小型のナイフを抜いた。『橘』――思い当たる人間はいない。だがナイフを持ち歩くほど警戒している――まさか、花山の件も関係あるのか――いや、恨みを買いやすい立場として当然の準備か。思考が拡散する/背筋に怖気が走る/腕が震える。

 とにかく安全な距離を置こうと判断するまで、一秒か二秒――それが遅かった。やつがナイフを構えて踏み込む――避けきれない。脇腹を刺された。力が抜ける――それを振り絞って、こちらもナイフを刺し返す。浅い――肩の筋肉に阻まれていた。突き飛ばされる――左手を伸ばす/やつの首元を掴んで道連れに倒れ込んだ。

「うわあああ」

 やつが叫びながらナイフを引き抜き、おれの脇腹にもう一度刺す。おれは痛みに絶叫しながら、逃げようとするやつを離さない。右手のナイフは倒されたときに落としていた。地面を必死に探る――こぶしくらいの石を取り、やつの頭に叩きつける。耳障りな悲鳴を上げて暴れる。やつの体重が抜けた――横倒しに押し倒した。とっさにやつの首に両手を回す――全力で締めあげる。またやつがナイフを引き抜き、刺す。だが深くはない――だが、二度、三度と刺される。

 死ね。早く死ね。ひたすらそう祈りながら首を絞め、締めあげ、締め続け、気付くとやつは完全に事切れていた。

 おれは首を絞めていた手を離し、地面に倒れた。あたりは血まみれになっていた。自分の心臓が動くたび、腹中の傷から血が噴き出すのが分かった。明らかに致命傷。やつを殺すまで持っただけで奇跡に思えた。

 視界が暗くなっていく。脱力感に身を任せていると、どこからかバンドの音、歌声が聞こえてきた。ずっと遠くのはずの駅のホーム、川原の道がやけにはっきりと見える気がした。天使が降りてくる。

 突然、地面で惨めに倒れていることがひどく恐ろしく思えた。誰か――天使でない誰かに祈った。どうかおれを隠してください。天使が降りようともしないところ、天使の目にも触れない、どこか暗い場所へ。

 

 読経ニュース十二月二日

二日午後十一時ごろ、埼玉県秩父市の山林で男性の遺体を近隣の住人が発見、通報した。秩父署によると、遺体は二十代、身長百八十センチ程度、所持品から東京都在住の泉哲朗さん(二十)と見られる。多数の刺傷・裂傷があり、殺人・死体遺棄事件と見て捜査している。

JNコンフィデンシャル 13/14

13[小立 俊弘]

 泉も死んだ。たぶん、犯人を道連れにして。おれにはなにも言わずに。

 一週間経ったが、おれは部屋から出る気力もなかった。大学にも行ってない。

 花山の苛烈な言葉を思い出す。『例えば今お前が留年してても、大学に落ちていても、何百万も借金してても、なにかの病気で死にかけていても、親にぶん殴られながらでも言えるか。『カレシと行ってもいい』だなんて』花山はそう決めつけてくれたが、借金ならあった。大学に入る直前のことだった。親父が過労で倒れ、そのままくたばった。家に貯金はあったが、結局俺は奨学金を借りて大学に通うことにした。卒業するころには二百万ほど借りる計算だった。

 そういえば、親父のその父――祖父はどうしたんだっけ。

 

「小立俊弘か?」

 おれしかいないはずの部屋の中で、背後から声をかけられた。振り返ると、いつの間に進入したのか、知らない男が立っていた。二十代半ば、どちらかといえば控えめに見える風貌、穏やかな表情。だが驚きがあったのは一瞬だけだった。もうおれの感情は、砂が穴の空いた袋から漏れだすようにあっという間に消え失せるようになっていた。

「だれだあんた」

「拝島怜司。泉哲朗と花山昌志の関係者だ」

 あの二人に共通する知人がいる? 俄には信じがたかった。

「なんの用だ」

「君が二人を焚きつけたようだからな。どんな人間か興味が沸いた」

 拝島は邪気のない笑顔のままそう言った。

 泉と花山の共通点――おれは必死で頭を回転させた。

「なるほどと思ったよ。泉にも花山にも似ているな、君は」

 泉――犯人のファイルは『昔なじみの推理』と言っていた。

 花山――泉と雑居ビルの男の情報を提供したという『オービットファンの大物』。

「泉が私と出会わなければ、花山が思い詰めなければ、君のようになっていただろうな」

 ひらめき――二人は気付かないうちに情報源を共有していた。

「そうか。あんたがあいつらの情報源だったんだな」

 拝島の笑みが深くなる。

「お前、花山に泉を売ったな」

 その笑みが、続けろと言っている――

「泉に犯人を売ったのもお前だろ」

 拝島はなにも答えない――ただ笑っているだけ。

「あいつらを操って、なにが目的だ? お前があいつらを殺したのか」

「おれは殺しなんてしない。ただ背景に興味があっただけだ」

「背景?」

「裏で糸を引く奴の意図だ。そいつは大きな憎悪を生み出すことが目的に見えた」

 拝島の目に嗜虐心がほの見えた。

「ならおれの同類だ――それで、やる気のあるやつらに情報を流した」

「やつら?」

「花山のような、真相を知りたい、自分で処刑したいってやつらだ」

 頭がくらくらする。この男と話していると、自分が立っていたところからどんどん離れて――流されて――落ちていくように感じた。

「それで、目的は達成したのか」

「ああ。君らが事務所を見張っているのに気付いて、裏口から出てくるところをつかまえたよ。高木泰司――面白い男だ。おれとは違うが、この世を支配する『力』が見えている」

 拝島が哄笑する。

 唐突に祖父を思い出した。祖父は戦争で死んだ――確か、硫黄島で。

 

 おれはゆっくりと机に手を伸ばし、引き出しからナイフ――花山と同じものをネットで買った――を取り出した。拝島に突きつける。

「おれを殺すか?」

 ナイフを突きつけられても拝島の声に一切の動揺は見えなかった。逆に拝島の目に射貫かれる。

「なんのために殺す? 泉か? 花山か? オービットとかいうやつらのためか?」

 手/身体が震える。拝島は笑いながらおれのすぐ横を通り、部屋を出て行った。おれは身動きできなかった。

 拝島が哄笑する。