deadtachibana.com

怪文書置き場

JNコンフィデンシャル 3/14

3 [泉 哲朗]

「たれこみがあった」

 咳きこみながら答える――胸/背中に鈍痛。

 二人の襲撃者=顔を晒していたもやし野郎/最初から目出し帽だった背の低い男。完全に不意を突かれた。身体=椅子に縛られている/手=後ろ手に縛られている――一切抵抗できない。もやし野郎は虚勢を張ってるのが見え見え――どうでもいい。だが背の低い方は要注意――重症のオービットオタク=例のブログが許せないんだろう――完全にキチガイ。何をするか分からない。逆らわない方がいい。

「詳しく話せ」

 背の低い方がブラックジャックを振りながら威圧した。

「メールだ。そのウィークリー音雨の記事とURLが書かれていた。おれはそれをブログに貼っただけだ」

 もやし野郎がおれのPCの前に座って探り始めた。

「パスワードは」

「8、6、1、0、2、8」

 襲撃者たちはなにか言いたげにおれを見つめた。なにか文句あるか――睨み返した。

「メールはいつきた」

「十月六日だ。時間は覚えてない」

 もやし野郎がメールを検索しているようだった。

「『熱愛発覚』、これか」

「ああ」

「それからそいつからメールはあったか?」

「ない。その一通だけだ」

 背の低い方:PCを見ながら、携帯になにか打ち込む/もやし野郎:こちらに来て、わざとらしくおれの部屋を見渡した。

「ずいぶんと羽振りがいいようだな」

 精一杯いきがって、どこかで聞いたような台詞――思わず吹き出した。

「おれは、お前のブログが……お前が嫌いだ。話題作りで対立を煽って、事実を都合良く曲げて、そのくせ自分は中立のふりをして」

 慣れっこの批判――痛くも痒くもない。いくらでも言われたことがある。もっと言いたいことがあるんだろ――薄ら笑いで挑発する。

「なにがおかしい」

 簡単に挑発に乗ってくる。目出し帽の穴からわずかに覗く顔が赤くなっていた。

「あのブログ主を見つけようとしてるのか? せいぜい頑張ることだな」

「なにを偉そうに言っているんだ? 良心のかけらもない、フリーライダー寄生虫ごときが」

 背の低い方が吐き捨てた。

寄生虫けっこう。ところでお前ら、漫画にアニメにゲームにCD、どれくらいカネを払っている? 月に二万か? 三万か?」

 押し隠しながらも襲撃者どもが戸惑っているのが伝わってくる。予想通りの反応――おれは嗜虐的な悦びが沸いてくるのを感じた。

「おれはそうだな、比較的少額の月四十万程度だな。気に入ったものはついつい十個くらい買っちゃうんだが。ブログ運営で入るカネの大部分は、こういうものを買うのに使ってるよ」

 そういっておれは視線で部屋全体を指した。

「汚いやり方で稼ぐカネを自慢してるのか? なにが言いたい」

「なにで稼ごうが払ったカネの価値は変わらねえよ。要するに、おれは作品への愛だの情熱だのを口にしてカネを払わないような、口先だけで綺麗事を並べるやつが嫌いってことさ。おまえらもこんな親衛隊ごっこをしてる時間にバイトでもして、買い支えてやったらどうだ?」

 背の低い方:苛立っているように見える。もやし野郎:言い返す言葉が見つからないようだった。おれはにやけてしまうのを我慢できなかった。

「カネを持っている、カネを使うやつこそが正義だと? お前の年収が一千万だか二千万だか知らないが、それがどうした? もっとカネを持っている、使っているやつはいくらでもいる。その連中の前でも同じことを言えるのか?」

「言えるよ、『あなたのようなお方こそ正しいファン、正しいオタクです』ってね。そういうやつらに比べればおれも取るに足りない存在だよ。でも、おれだってお前ら二人を足したよりよっぽど『貢献』してるよ。お前ら、自分はおれより上等な人間だって思ってるんだろう? だけどそんな上等なお前らは、クズのおれより製作者に報いているのか?」

「ただカネを支払うだけで貢献したつもりになってるが、本当にそれが人のためになってると言えるのか? お前のクソブログのでたらめで、お前の払う百万だか二百万ぽっちのカネ以上に、向こうに損害を与えてないと言えるのか?」

「この資本主義社会、カネを払うのが一番正当な評価の方法だろ。そういうことを言うなら、おれのブログが損害を与えているって証明してからやるんだな」

 背の低い方が一瞬なにか言おうと口を開いて、だがそれを飲み込んだ。おれはこらえきれずに笑い出した。やつが言い返す言葉を全て失って、『お前は間違っている』と言う代わりにおれを殴るしかなくなるところを想像した。笑いが止まらなくなった。笑って、笑って、笑いながら、遠くから『賢く憎め』『憎しみを利用しろ』という声が聞こえてきた。それは、拝島怜司――おれの導き手――がおれに何度となく言っていた言葉だった。

 

 拝島に会ったのは小学生の頃、おれが東北の片田舎に住む、何もかもに怯えていた十一歳のガキのときだった。そのとき拝島は十四歳、やや控えめだが明朗快活、まずまずの優等生と大人に評される中学生だった。

 その頃、おれの通っている小学校で頻発したリンチ事件――大人は『いじめ』と呼んで、結局誰がリンチされたときも法的な措置は取られなかった――は、どれも拝島が焚きつけたものだった。容姿・言動・出身、なにか子供の排他性と暴力性に訴える差違を見つけ出し、その差違にそれとなく気付かせる。片田舎の閉じた世界で漠然とした飢えを抱えた子供は、渇いた喉を潤すように精神的/肉体的な暴力に走った。おれ自身もその輪に加わったことがあった。外国人の子供を同じ子供の集団が取り囲んで、笑いながらつつき回し、引き倒し、殴り、蹴る。一方おれたちを誘導した拝島はといえば、少し離れたところから、あるいはリンチが終わったあとで、おれたちのほう――加害者のほうをどこか不思議そうに見つめていた。

 なにを見てるの――おれは、おれたちを見つめる拝島を見つけ、そう話しかけた。

「分からない。あれは、なんだろう」

 そのときおれは、そう答えた拝島の目に自分と同じ怯えが潜んでいるのを見た。それからおれは拝島のあとをついていくようになった。きっとこの怯えから解放される方法を見つけられると思って。

 しかしそれはおれの勘違いだった。拝島は怯えていたわけではなかった。憎しみの力を見定めようとしていたのだ。賢く憎むことを。憎しみを利用することを。

 

 今から七年ほど前のことだった。

「ほら、見てろよ」

 そういって拝島は、おれの目の前でゲームのディスクにカッターを入れ、その傷からディスクを真っ二つに割った。なにするんだ? 拝島が突飛な行動をするのはいつものことだったから、おれは驚きでなく興味から聞いた。

「いいから見てろよ」

 拝島はA4一枚のビジネス文書然――だが書面には「返品」「処女膜」という単語が踊っている――とした書類を印刷して割ったディスクとテーブルの上に置き、デジカメでそれを撮った。そしてデジカメをPCにつなぎ、その画像を掲示板にアップロードする。

「二十二分。まあまあだな」

 そういって拝島はストップウォッチを止めた。所要時間をカウントしていたようだ。

「言ってみれば、新しい『スタイル』の提唱だよ」

 おれの質問に、拝島は笑みを浮かべてそう答えた。

「手早く簡単に憎しみを撒く方法だ」

 拝島はスレをリロードして反応を見ながら続けた。

「なかなかショッキングで面白い絵面だろ? 小難しい理屈やキチガイみたいな台詞を考える必要もない。みんな掲示板で長文連投するキチガイには慣れちゃったしな。これなら手元のディスクを割る、それをデジカメで撮る。それだけだ」

 画像にレスがつき、拝島の投稿は間違いなくスレに刺激を与えていた。拝島はそれを見て満足していた。

「見てろよ。そのうちすぐに真似するやつがでてくるぞ。そうすると、真似した奴を見てまた別のやつが真似を始める。憎しみはもっとカジュアルになる。憎しみの水準がまた少し上がるわけだ」

 拝島は、冗談めかして『魔法使いになりたい』と言っていた。世界に漂う憎しみが魔力だ。魔法使いはそれを集め、方向性を与え、大きな一つの力にする。世界が憎しみで満ちれば、魔法使いはより大きな力を振るえる。

 その後拝島は東京の大学に進学し、しばらく会うことはなかった。

 

 拝島と再会したのは、おれも大学で上京したときのことだった。

「お前、ブログの管理人やってみないか?」

 突然アパートに押しかけてきた拝島がおれに持ちかけた。

「上手く人を集めればいい小遣い稼ぎになるぜ」

 賢く憎め――憎しみを利用しろ――これはその訓練だ。拝島が口にしなくてもおれには分かっていた。拝島に言われるままおれは承諾した。

 あれからなにやってたんだ? こまごまとブログの引き継ぎを受けながらおれは聞いた。

「面白い男を見つけてな。そいつの手助けをしていた」

 そう言って拝島は煙草をくわえたまま――上京してから覚えた趣味だと笑っていた――蝶ネクタイとサスペンダーを取り出した。アイコンの力。シンボルの力。力を集める力。具現する力。拝島がこのところ存分に奮った力のようだった。

 そして拝島はまたおれの前から消えた。だが、おれがブログを更新するたび――ブログのことを考えるたび、拝島の言葉がおれの脳裏に蘇った。賢く憎め。憎しみを利用しろ。

 言葉がおれの背中を押す。おれは拝島の行動をなぞった。構図を作る。対立を煽る。衝撃を与える。演出する。

 またぞろ処女だの非処女だのの騒ぎが起きた。おれはその漫画本を切り裂いた画像を投稿し、それをブログで取り上げた。阿呆どもがそれを見に来る。カウンターが回る。懐が潤う。――賢く憎め。憎しみを利用しろ。憎しみは、力だ。

 拝島がおれの中に入り込んでいく気がした。

 

 気付くと襲撃者二人がじっとおれを見ていた――いったい何分間、おれは笑い続けていた?

「なぜウィークリー音雨を取り上げた?」

「……なに?」

 四つの目がまっすぐおれを見つめていた。

「アクセスが稼げるから。収入が増えるから。決まっているだろ。おれはもっとカネが欲しいんだ」

「そしてそのカネで『貢献』するのか」

 目出し帽からの視線――敵意/悪意でない――憐憫のように見えた。

「そうだ。いくら言葉を並べたところで、結局それがおれたちの正しいあり方だ」

 おれを憐れむな。

「無理してるように見えるぞ」

 背の低い方がなにか言っている。視界はいつの間にかにじんでいた。笑いすぎたせいだ、きっと。

「なぜウィークリー音雨を取り上げた」

「だから、カネのためだと言っているだろ!」

「ならなぜあんなパスワードにした? 天井のポスターはなんだ?」

 パスワード=愛生の誕生日――毎日打ち込んでいる。天井のポスター=オービット――毎日目が覚めると最初に目にする。

「お前もただのファンなんじゃないのか!? 自分で自分を傷つけて、なにがやりたい!?」

「ファンなんて一人残らず死ね! この程度でファンをやめるようなやつなんて目障りなんだよ! 一生愛生に、おれに関わるな!」

 抑制できない――言うつもりのないことまで叫んだ。

「ファンを淘汰する、オービットと自分自身の関係に向き合うことのできないファンには去ってもらう。そう言いたいのか?」

 答えるつもりはない――おれは言うべきではないことを言った。

「お前のスタンスは理解不能というわけでもない」

 喉が痛い/身体が熱い。殺せ。おれを殺せ。

「お前、矛盾してるな」

 うるさい。

「お前の眼鏡に適う人間だけ淘汰して、残ったファンは何人になる? 切り捨てた人間が払うカネを集めれば、おれたち――おれと、こいつと、お前を足した全部よりずっとたくさんのカネになるんじゃないか? 真に『貢献』しているのは、そういう名無しの連中じゃないのか? それなら、立ち去るべきはおれたちじゃないのか?」

 うるさい。うるさい。うるさい。

「立ち去るべきはおれたちかもしれない。だが、おれたちにはその前にやることがある」

 背の低い方がおれを掴み上げた。至近距離で睨みつけられる。視線を外せなかった。

「盗撮したやつを見つけ出す。そいつに償わせる。それができるのは、名無しの連中じゃない。おれたちだ。おれたちが消えるとすれば、そのあとだ」

 嗚咽が漏れた。賢く憎むことはできなかった。おれはおろかだった。憎しみがおれの手綱を離れていくのが分かった。

 

「どこの誰だ。おれを売ったのは」

 拘束を解かれた/おれはさして期待もせずに聞いた。

「オービットファンの大物、とだけに言っておく」

 花山――背の低い方――は冷淡に切り捨てた。予想通りの反応=情報源の保護。

「はっ、知り合いのスーパーハカー様かよ」

「その人物に情報を渡した。次は、お前に情報をリークしたやつを絞り上げる」

 おれの悪態を無視し、花山が告げた。おれはその目に怯えを探した/意志しか見えなかった。行動の意志。指向性の激情。純化した狂気。