deadtachibana.com

怪文書置き場

STBTYR 1-4

4.

 十年前、シーナが十六歳のころだった。シーナは、カンダート伯爵が自分と歳の近い子供を養子にした、と聞かされ、伯爵の城に連れてこられた。
 通された広間には、等身大の人形が何体も並べてられていた。どれも十代――シーナと、そしてこれから現れるだろう少女と似たような年頃――の、長い栗色の髪をした少女の人形だ。人形たちは服を着ておらず、球体になった関節が剥きだしになっている。整然と並べられながらもどこか打ち捨てられたような人形たちに、シーナは痛々しさを感じて目を逸らした。シーナを案内した使用人はシーナを通してすぐ退室したから、そこにいるのはシーナと人形たちだけだった。目的の少女はすぐ来る、と使用人は言っていたが、吹き抜けになった上階も人の気配はない。手持ち無沙汰で、シーナは消極的ながらも並んだ人形に近づいた。
 遠くからでは気付かなかったが、人形たちはほとんど同じ顔をしていた。鼻筋のとおった、鋭利さを感じさせるような整った顔だ。しかしその一つ一つは、似ていても少しずつ違っている。
(違う人間が、一人のモデルにして人形にした?)
 そう仮定して観察すると、一つ一つの人形から人形師の個性が読み取れた。生々しくも人形然とした印象のものは、あらゆる箇所のディティールに執着せずにはいられないような、神経質めいた造り手の気配を感じる。その隣のどこか柔らかい印象のものは、腕や脚の造形にあえて曖昧さを残すようにしているのだろうか。シーナに美術の素養があるわけではないが、モデルが同じだからか、かえって彼女にも一体一体の違いがよく見えた。そうして人形たち一体一体を眺めているうちに、シーナの視線は不意に釘付けになった。横顔のひときわシャープな人形だった。
 その人形が目に入った瞬間、造り手の存在は彼女の意識から消えていた。自然と手が伸び、頬に触れる。ひんやりとした滑らかな皮膚。耳の裏側でどくどくという自分の血の脈動をうるさく感じながら、少し屈んで、瞳を模した透き通ったガラス球とまっすぐ向き合う。ガラス球の奥の模様から目が離せない。人形と見つめ合うのはそのままに、シーナはごくりとのどを鳴らし、ポケットの中をまさぐって、指輪を取り出した。
 それはシーナが初めて作った魔術道具だった。埋め込んだ魔術はごく基礎的な魔力保存で、意匠も思いつきで三本のラインが刻みこんであるだけの、ほとんど玩具のような指輪だ。その頃魔術に興味を持ちはじめたシーナが、ただ教えられるままに作ったものだった。シーナ自身は、普段その指輪を使っているわけではなかった。愛着はあったからよく持ち歩いていたし、それはその日も同様だった。ただその指輪をはめるのが自分であることが、なんとなくしっくりこなかった。だから指にははめず、ポケットに入れたままにしていた。
 自分ではほとんど意識もしない動きで人形の左手を取り、取り出した指輪をその細い中指にはめていた。指輪が人形の指に綺麗に収まったその瞬間、そうか、とシーナは気付いた。わたしは、この指輪を誰かにはめてもらいたかったのだ。指輪の朴訥とした雰囲気は、人形の整った鋭い美しさにマッチしているとは言いがたかった。だがシーナの心には、なんともいえない満足感があった。自分の作ったものが、届けたいところにちゃんと届いた――そんな、報われたような気持ちだった。
「あなたが、シーナ=トーネル?」
 シーナに手を取られた人形がそう問いかけた。目の前の人形をただの美術品だと思っていたシーナは、驚きのあまりに硬直するしかなかった。
「わたしはカリン。カリン……カンダート」

 そう名乗ると指輪をはめられた人形は立ち上がって、そばの家具からテーブルクロスのような白い布をはぎとり、手早く身にまとった。
「あなたが、伯爵の……?」
「ええ。『これ』はただの人形、私の本物を似せて作った人形で、魔術で身体を借りているだけだけれど」
 人間そのもののようにしゃべり、歩く人形にあっけに取られていたシーナの問いかけに、人形――カリンはさらりと答えた。シーナは先ほどの感触を思い返す。あの頬の、瞳の感触。目の前にいるのは、確かに人形だった。カリンと名乗ったのが何者であれ、その人物がこの人形を操っているのは間違いない。
「操作魔術。操り人形のようなものよ」
 わたしにできる、唯一のこと。カリンはそう続けた。身体に巻きつけた布を押さえる仕草も、少し憂いの混じる表情も、ただの作り物とはとても思えない。人形を動かしているのが本人の言うとおりに魔術であれ、なにか電気的な旧来の科学技術であれ、その技術が卓越しているのは確かだ。だというのに、カリンはその技術を誇ったり見せつけたりするようではなかった。
「あなたのことはカンダート伯爵から聞いているわ。わたしの一つ下の女の子で、優等生だって」
 カリンは向き直ってシーナに笑いかけた。彼女が巻きつけている白い布は、清潔ではあっても衣類としては安っぽい綿の生地で、彼女自身とその笑顔の美しさには少しも釣り合っていない。まるで彼女がひどく不当な扱いを受けているようだった。シーナはそのことになにかひっかかるものを感じた。
「わたしはその……カリン様は、伯爵だけでなく教会全体にとって重要なお方だと聞きました」
「様づけはやめてほしいんだけど」
 シーナの言葉のほとんどの部分は聞き流し、カリンが苦笑する。
「ですが……」
 カリン様、と続けて口にしそうになって、慌ててやめた。カリンは義理とはいえ伯爵のご息女なのだから、シーナとしてはなにか敬称がないと落ち着かない。カリンの様子を窺うが、彼女は大して気にも留めていないように見える。手を握りしめたり腕をさすってみたり、『身体を借りた』という人形の感覚を確かめているようだった。
「ねえ、シーナさん」
 知らず見とれていたシーナは、カリンに呼びかけられてはっとした。
「図々しいことは承知しているけれど……。この指輪、わたしにくれない?」
「そんな指輪、カリン様にはとても釣り合いません!」
 シーナは慌てたあまり、叫ぶように言い返した。つたなくて華やかさに欠けるシーナの指輪は、まだカリンの指にはまっていた。彼女に釣り合わないという意味では、指輪もあの白い布も似たようなものだ。顔が赤くなるのが自分でも分かった。
「様、はやめてよ」
 カリンがむくれる。しまった、とシーナは反射的につれない返事をしてしまったのを後悔した。指輪をカリンに差し上げるのが惜しいなんてことはない。それに今あの指輪が彼女に釣り合わなくても、腕を上げていつかふさわしい指輪を作れるようになればいい。そう思っても、今、この場でカリンになにか素晴らしいものを捧げたいと思った。漠然とだが、彼女が不当に扱われている気がして、それを許せないと思った。そのとき、シーナの中でなにかがひらめいた。
「シンデレラ」
「え?」
 カリンが怪訝そうに聞き返す。シンデレラというのは、家族であるはずの者たちから疎んじられ、粗末な格好をさせられる、という単純な連想だった。しかし一度それを口にしてしまったら、なんだか陳腐で安易なたとえに思えてシーナは気恥ずかしくなってしまった。
「この指輪がガラスの靴で、あなたが王子様ってこと? わたしはもうお城に住んでいるのに?」
 カリンがおかしそうに笑う。自分が王子様だなんて、シーナにそんな意図は全くなかった。カリンの解釈はシーナの想像を軽々と超えている。シーナは自分が口にしてしまったことのあまりの恥ずかしさに、また後悔しそうになった。しかしカリンの笑顔は、人形として他人の手で刻まれたものとも、困惑やあざけりからのものとも違う、ただ楽しくて笑う、そんな笑顔に思えた。だからシーナは、顔を赤くしながらも大真面目な表情を作って、言い切る。
「本番用のガラスの靴は、わたしが腕を上げるまで待っていてください」
 そして、彼女にこれ以上ふさわしい言葉はない、という呼び名で彼女を呼ぶ。
「ね、姫」
 カリンのガラス球の瞳が、驚きで少し見開かれた。
「様づけよりはいいけれど、それはちょっと恥ずかしいわ」
 カリンも恥ずかしさを感じるのか、少し目線を泳がせながらシーナに歩み寄り、手を取った。
「その呼び方は二人のときだけね?」
 手を取られて硬直したシーナの耳元でささやくように言うと、カリンはシーナに倒れこんだ。シーナは慌てて抱きとめた。顔が、ただの人形と思って触れていたときよりさらに近くにあった。薄い唇がわずかに開いている。シーナはその吐息の熱さを予感した。しかし、温度どころか吐息のかすかな空気の動きもなかった。ごわごわした布の下から伝わる体温もない。さっき遠慮なしに触れてからその冷たさと違和感を知っているはずなのに、シーナの心はどうしようもなく揺れた。
 そのとき、誰かが上階から降りてきた。広間に並べられた人形たちそっくりだが、城の住人に相応しいドレス姿の少女だ。その少女――人形でない、生身のカリンが、人形を抱きしめて固まったままのシーナを見つめ、口を開いた。
「カリン=カンダートよ。これからよろしくね、シーナ」
 それがシーナとカリンの出会いだった。

 それからシーナは、たびたびカリンに会いに城へ出向くようになった。カリンが処刑者として城を空ける――外へ出るのは人形のため、文字通りの意味ではないのだが――ことが多くなるのは、二人の出会いより数年ほどあとのことになる。対して伯爵は、この頃はほとんど城を留守にしていた。
「これをどうぞ」
「今回はティアラね」
 差し出された銀の小ぶりなティアラをカリンが手に取る。シーナの魔術道具、その最新作だ。シーナは作品を作り上げるたび、少しずつ魔術道具開発の技術を上げていった。今回作ったティアラは、これまでの指輪やイヤリングといった小物の開発で得られた技術と知見の全てを注いで作った、自信の一品だった。
 ティアラを頭に載せたカリンが、鏡の前で感嘆の声を上げた。シーナはティアラが小さすぎて貧相に見えないか少し心配だったが、それは杞憂だったようだ。ちょこんと載ったティアラはカリンの顔の鋭さを和らげ、彼女に潜んだ可愛らしさを引き出している。
「シーナ?」
 はい、姫、と答えてシーナはクローゼットを開け、ティアラに合いそうな服を見繕う。しばし掛けられたたくさんのドレスを繰りながらプランを練る。イメージはすぐに湧いてきた。シーナの選んだ服をベースに、二人であれこれ服と小物の組み合わせを試しているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。
「本当によくお似合いです、姫」
 シーナの素直な言葉に、カリンも素直に微笑みで答える。
「それで、これはなにをイメージしてるの? かぐや姫……じゃないわよね」
「秘密ですよ」
 正解はいばら姫だ。今日は、淡いベージュを基調にくすんだ緑をアクセントにした合わせだった。
 カリンを姫と呼ぶことにしたあの日から、シーナは彼女のため、童話のお姫様をモチーフにした魔術道具を作った。人魚姫、親指姫に白雪姫。そして作った道具をカリンに届けたときには、こうして一緒に服もモチーフに沿ったものを選んで着るのが二人のお決まりになっていた。文字通り人形のように手足が長く、振る舞いも伯爵の娘らしさを身につけてきたカリンは、身に付けるものを絵本の挿絵に似せるだけで童話のお姫様のように見える。今日もシーナの記憶にある絵本のいばら姫が現実に現れたようだった。自分の作ったティアラと選んだ服を身につけていても、シーナはついその見事さに見惚れてしまう。
 その横顔を見つめるうち、シーナは小さな違和感に気付いた。
「もしかして、いつもと違う人形を使っていますか?」
 カリンは以前、等身大の人形はあの時シーナが指輪をはめた一体しか動かせない、と言っていた。それも動かせたのはあの日が初めてだった、と。しかし今目の前にいるのは、その人形とは別のものに見える。今日は広間に置いてあった他の人形を使っているようだった。
「ええ」
 答えは短い。カリンはばつが悪そうだった。
「最近、他の人形も動かせるようになったの」
 自分に似ているもの、「似ていると思えるもの」しか操れない、とカリンは言っていた。人形がヒトに近づけば近づくほど、かえって違和感が増して操作に障害が起きるのだそうだ。人形の外見がコンピュータグラフィックでいうところの不気味の谷を越えてヒトに近づいても、そのヒトをカリンが「自分と似ている」と思えるようになる、第二の谷を越えなければ操ることはできない、ということだ。だから伯爵はカリンに似せた人形を何通りも用意して、カリンの自己イメージに近いカタチを探し当てようとしていた。そして第二の谷を超えたのは、あのシーナが指輪をはめた人形の一体だけだと思っていた。
「そうだったんですか」
 しばらく沈黙が続いて、シーナは間の抜けた答えだったな、と少し後悔した。なにか気の利いたことを言おうとしたが、いい言葉を思いつく前にカリンが口を開いた。どこか重たい口ぶりだった。
「ごめんなさい、騙すつもりはなかったの」
「騙す?」
「いつもと違う人形であなたと会っていること」
「騙されたなんて思っていません」
 気を使っているわけではない。カリンの言っていることが上手く飲み込めなかった。
「本当のわたしでは会ってないことも?」
 そういえば、とシーナは気付いた。初めて会ったあの日以来、姫本人とは会っていない。しかしシーナは今までそれを気にしたことはなかった。初めて会ったのが人形だったからだろうか。シーナは自分の中で疑問を反芻してみて、それは意味のない問いだと結論づけた。
「姫は、姫ですから」
 人形を自分の身体そのもののように操ることができるのはもちろん、今のお姿のように、いろいろな童話のお姫様のようであることも含めて。シーナの憧憬の混じったその言葉に、カリンは表情をゆがめた。
「いいえ、わたしはあなたを欺いているわ」
 そしてそれはきっと、あなたにだけじゃない――。カリンが漏れそうになる嗚咽を抑えながら続けた。
 わたしはあなたを欺いている。他人を欺いている。その想い、罪悪感に一瞬懐かしさを感じたあと、シーナの脳裏でルドノアでの日々が生々しく蘇った。本家の慣習から決別した自分。ベクリーの家系に連なる人間の一人である自分。ルノ族の裏切り者である自分――。ルドノアにいたときはずっと感じていた、あの息苦しい感覚。それを今まで思い出さずにいられたのは、この国での暮らしと、そして――。
「姫のおかげだったんですね」
 え、とカリンが戸惑っていた。
 カリンのどこかに、自分はおのれが抱えた不安に似たものを感じ取っていたのかもしれない。だから自分の不安のことは意識しないでいられたのかもしれない。
「わたしの話を聞いてもらえませんか?」
 自分の過去についてのことは、カリンは伯爵からもう聞いているかもしれない。けれどシーナは自分からカリンに話したかった。ただ彼女に聞いて欲しくて、シーナは語り始めた。あの国での暮らしと、突然巻き込まれた、あの途方もない暴力について。
「少し長い話になります――」

 カリンはなにも言わず、ただシーナの話が終わるまで、じっと耳を傾けていた。三十分か一時間経ったあと、シーナが話を締めくくったとき、彼女はいつの間にかカリンと手をつないでいた。いつも他人を欺いている気がする――そんな罪悪感と後ろめたさが、知らないうちに二人をつないでいたように。
「きっとわたしと姫は、似た物どうしなんです」
 シーナの言葉にカリンはつないだ手に力を込めて返した。シーナはその手の冷たい感触に、かつてはあれほど絶対的に思えた不安が、今ではもう立ち向かって打ち勝てるものなのだと確信できた。シーナは目を閉じた。自分の体温がカリンの冷たい手に溶けていくようだった。

 それからほどなく、城を空けがちだった伯爵が城に戻ってきた。同時にカリンは操作魔術を前人未到の領域にまで引き上げ、教会の処刑者として各地に派遣されるようになった。そして彼女が教会最強の処刑者として認められるまで、それほどの月日はかからなかった。